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兵庫県立美術館で行われている富野由悠季の世界に行ってきました

 
兵庫県立美術館で行われている富野由悠季の世界に行ってきました
まず圧倒されるのは物量です
展示物の物理的な量が膨大すぎます
富野由悠季監督はこの仕事をもう55年(1964年虫プロ入社)されておられて
ものすごく多くの作品とその作品によっての業界の先頭に立って業界を切り開いた比類ない存在です
あの膨大な資料の数を見せられると富野由悠季監督が日々頭の中に発生する膨大な発想を
形にする手段として企画書であったりメモであったり絵コンテであったり物理的アウトプットの生産作業としてこの膨大さには本当に驚きでしかありません
この物理量のアウトプットを出せるか?と自分に問うてみたとき
まず半分も出せないだろう
いや3分の1も出せないのじゃないかという残念な気持ちになってしまいます
富野由悠季監督は考える量も膨大な数量だろうと推測をします
頭の中にある表現したいもの実践したいものというのはさらにこれも何十倍にもなってんじゃないかと
もっと簡単にアウトプットする方法があれば今回の展示会で見た物量の10倍にも20倍にもなるような情報が出てくるんではないかと
それもまた恐怖を感じる部分でもあります
アウトプットが目的なのではなくてそのアウトプットからチームプレーの各スタッフへの自分の思い考えを伝達する手段として
アウトプットされておられるというところから考えると
ここもまた富野監督自身のある種の不自由さというのがこれまでは大量にあったんじゃないかと思うところもあります
そのストレスというのは想像を越えたところにあると思います
なんにしてもこの物量です
この膨大な数に圧倒されるとともにその考え方の一端に触れることで
何かこの天才の才能のかけらでも吸収できないかとそんな気持ちになってしまいます
会場でその物量を自分自身に最大限触れさせること
これはこの限られた場所この限られた時間ではかなわないそんなことを思ってしまうほどの物量です
何回か通うことでそれを少しでも100%に近づけるそんなやり方もありかと思います
何回も通って隅から隅まで富野メモ、トミノジー、企画書、絵コンテを読んでいくこと見ていくことで100%に近づけることも1つだと思います
図録に掲載されているもの=展示にされているもの
ではないと思えるところも所々あったような気がしますが
図録は購入必須です
図録を持ち帰って時間をかけて図録掲載の企画書を読み込むこれはすごく重要なことではないかという気がします
先日、関係者にとある作業について指示を伝えた
1時間ほどの作業時間で自分で作った作業指示書を3分で説明していた
これには後悔しかない
 
 

 

映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)

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富野に訊け!! (アニメージュ文庫)

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富野由悠季の世界で1つ強烈に印象に残ってしまうものを紹介します
富野由悠季少年が13歳の頃に描いた三段式ロケットの絵というのが展示の最も前半のほうに出てきます
この三段式ロケットの絵を描いたのは1954年 
富野由悠季少年の誕生は1941年ですからまさに13歳の時
ところで、三段式ロケットを一般の日本人が認識するのはアポロ計画が表に公開されてくる1960年代半ば頃だと思います


アポロ計画の歴史を明確にもう一度確認しておきたい
1961年5月、アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディは、1960年代中に人間を月に到達させるとの声明を発表
最終的にアポロ11号が月面に着陸成功するのは1969年7月。

ジョン・F・ケネディ大統領の月着陸計画演説よりも6年も前の1954年富野由悠季少年は3段式ロケットの概念を正確に把握していたということになります
そしてその情報そのものはフォン・ブラウン博士が構想しているという情報を得たところから始まっているらしく
その構想と情報を得たことは三段式ロケットのイラストの横にメモ書きされているのです。

現代こそインターネット、WWW,SNSによって世界中の文章が瞬時にとても安いコストで手に入るという時代ではあるけれども
1950年代はたしてそんなものは存在するわけもなく
とはいえ、フォン・ブラウン博士の存在を知っていたりフォン・ブラウン博士が3段式ロケットを構想中であるという
13歳の少年がこれらの情報を得ていたということに感動を覚えるわけです
はたして自分が13歳の時
それはどうだったかというと
市販されている図鑑であったり
または学校の図書室にあった宇宙開発に関わる書籍など
それを読むことぐらいしか方法がなかったわけです
自分が13歳の時すでに時代は西暦1982年なっているわけで
富野由悠季少年が13歳だった1954年からすると1982年はすでに28年経っているわけです
その時点で同じような情報を自分が得られたかと今考えてみても得られるはずがないように思います
市販されている雑誌書籍から得られる以上のものがあったかというとそれは想像もつかないことです
ところが富野由悠季少年はそれを実現しそして緻密な絵を描くことでアウトプットに落とし込むということに成功しているわけです
さらに驚くのはその絵がまだ残っているという。なんてこと!
私が13歳の頃描いた絵が今残っているかというとあるはずもありません

 

 

富野に訊け!! 〈悟りの青〉篇 富野に訊け!!

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富野由悠季 全仕事 (キネマ旬報ムック)

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  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: キネマ旬報社
  • 発売日: 1999/06/09
  • メディア: ムック