富野由悠季の世界で1つ強烈に印象に残ってしまうものを紹介します
富野由悠季少年が13歳の頃に描いた三段式ロケットの絵というのが展示の最も前半のほうに出てきます
この三段式ロケットの絵を描いたのは1954年
富野由悠季少年の誕生は1941年ですからまさに13歳の時
ところで、三段式ロケットを一般の日本人が認識するのはアポロ計画が表に公開されてくる1960年代半ば頃だと思います
アポロ計画の歴史を明確にもう一度確認しておきたい
1961年5月、アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディは、1960年代中に人間を月に到達させるとの声明を発表
最終的にアポロ11号が月面に着陸成功するのは1969年7月。
ジョン・F・ケネディ大統領の月着陸計画演説よりも6年も前の1954年富野由悠季少年は3段式ロケットの概念を正確に把握していたということになります
そしてその情報そのものはフォン・ブラウン博士が構想しているという情報を得たところから始まっているらしく
その構想と情報を得たことは三段式ロケットのイラストの横にメモ書きされているのです。
現代こそインターネット、WWW,SNSによって世界中の文章が瞬時にとても安いコストで手に入るという時代ではあるけれども
1950年代はたしてそんなものは存在するわけもなく
とはいえ、フォン・ブラウン博士の存在を知っていたりフォン・ブラウン博士が3段式ロケットを構想中であるという
13歳の少年がこれらの情報を得ていたということに感動を覚えるわけです
はたして自分が13歳の時
それはどうだったかというと
市販されている図鑑であったり
または学校の図書室にあった宇宙開発に関わる書籍など
それを読むことぐらいしか方法がなかったわけです
自分が13歳の時すでに時代は西暦1982年なっているわけで
富野由悠季少年が13歳だった1954年からすると1982年はすでに28年経っているわけです
その時点で同じような情報を自分が得られたかと今考えてみても得られるはずがないように思います
市販されている雑誌書籍から得られる以上のものがあったかというとそれは想像もつかないことです
ところが富野由悠季少年はそれを実現しそして緻密な絵を描くことでアウトプットに落とし込むということに成功しているわけです
さらに驚くのはその絵がまだ残っているという。なんてこと!
私が13歳の頃描いた絵が今残っているかというとあるはずもありません